生まれ育った町は、大好きな苺の産地だった
おおのきファームの農園主・正木啓介が苺を育てる楽しさに目覚めたのは、10歳の時。きっかけは、小学校の授業で実施した発芽の実験でした。自分でも何か育ててみたい、育てるなら大好物の苺がいいな…そんな興味から始まった家庭菜園が、のちに「苺色」の人生につながるとは、当時は思いもしませんでした。苺栽培に夢中になりしばらくたった頃、廿日市市のブランド苺を復活させようと活動している山本貴志さんを、テレビ番組の特集を見て知り、自分が生まれ育った廿日市市が苺の産地だったことも初めて知りました。自分も山本さんのように地域の宝を守る人になりたいという思いが芽生え、苺と自分の夢が重なったのです。 愛読書は趣味の園芸本から専門書に変わり、苺づくしの十代も半分を過ぎた16歳の時、高校の先生のつてで、憧れの山本さんのもとで職場体験ができるというチャンスが。山本さんを介して農家との交流も広がり、多くの先輩から学びました。 県立農業技術大学校に進学し、授業でほかの農作物に触れても、帰る場所は苺。当社のアグリ事業部立ち上げに伴い苺専任で働くことが決まり、今に至ります。
愛情をかけた分、応えてくれる苺のために精一杯
「つくり手によって求める味が違うし、その人にしか出せない味がある。苺の味は、つくり手の個性を表していると思います」。正木個人はほど良い酸味が好みだといいますが、あくまでも大切にしているのは、品種の魅力を生かしてやること。たとえば、濃厚な甘みが持ち味の「かおり野」は酸味を抑えて甘さが際立つように、酸味と甘みのバランスが持ち味の「紅ほっぺ」はコク深い旨味が引き立つように。ここにも栽培技術が問われます。お客さんが魅力を存分に発揮した苺を食べ比べてそれぞれの良さを発見し、苺をもっと好きになってくれたら、それが幸せ。 「同じ品種でも、つくり手が10人いればつくり方は10通りで、味も違います。それだけ奥深く終わりがないから、人生の半分以上を費やしても、いまだに好奇心をくすぐられます」。一年中気の抜けない苺づくり。理想を追究する道中で、迷路に迷い込むことも。「大変だからこそ、愛情が一番。それがあるから乗り越えられます。手塩にかけた苺が応えてくれて、食べた人が笑顔になってくれたら最高です!」。皆さんの「おいしい!」を励みに、今日も真摯に苺と向き合います。